六 ・ ペアリング
口の中で起きること
酒と料理が出会うと、どちらにも無かった香りが生まれたり、あったはずの香りが消えたりします。ここでは香りに限らず、酸・辛味・うま味まで含めて、その仕組みを並べます。
前の章との違い
根拠の質が変わります。 前の章は「測れば確かめられる」話でしたが、ここは人がどう感じるかの話で、確かめるには官能試験が要ります。各項目の強度A/B/Cがその目安です。Aは現象が決着しているもの、Cは示唆にとどまるもの。なお強度は「その現象が起きるか」についてであって、おいしいかどうかではありません。
仕組みどうしのつながり
大きい粒が仕組み(色は 緑=良い方向/琥珀=条件しだい/臙脂=気をつけたい)。小さい白い粒が、それを発火させる条件です。ひとつの条件が複数の仕組みに効いていることが、線の集まりとして見えます。粒を押すと下の説明に飛びます。
良い方向に働く6
強度A
呈味相互作用
うま味の相乗は、系統の違う二つが揃ったときに起きる。 チーズと日本酒のように、片側だけでは起きない
うま味が単独の和よりも強く感じられる。グルタミン酸の検知閾値そのものが下がるため、 味が「伸びる」「途切れない」と表現される持続感が生まれる。
見分ける手がかり
- 日本酒は一般にワインよりアミノ酸・有機酸が桁違いに多い
- 純米・生酛系はアミノ酸度が高い傾向
- 魚介は死後のATP分解でイノシン酸が蓄積する(K値の裏側の経路)
- 熟成させた調味料(味噌・醤油・豆腐よう)はアミノ酸が豊富
- 節類・昆布・干し椎茸は呈味成分の塊
- 効きの順位は グアニル酸 ≧ イノシン酸 > アデニル酸 > ウリジル酸。 干し椎茸(グアニル酸)は節類(イノシン酸)と同等以上に効く
- アミノ酸側だけが揃っている組み合わせ(チーズ×日本酒、味噌×日本酒など)では この機序は発火しない。核酸側の担い手が一皿に要る
当てはまりやすいもの
純米酒生酛・山廃熟成酒発酵調味料
関わる成分
グルタミン酸イノシン酸グアニル酸アデニル酸コハク酸
相乗が起きること自体は確立しているが、 「相乗が起きる=おいしい」とは限らない。うま味が強く出すぎて重くなる組み合わせもある。強度Aは相乗という現象に対してであり、嗜好の予測に対してではない。
強度B
揮発性塩基
レモンを搾るのと、酸の高い白を合わせるのは、化学的に同じことをしている
アミン由来の生臭さが抑えられる。TMAが酸で中和されて塩の形になり、揮発しなくなるため鼻に抜けなくなる
見分ける手がかり
- 冷涼産地・早摘みの辛口白(シャブリ、辛口リースリング)
- シェリーのフィノ
- 柑橘を搾る、酢を使う調理
- 沖縄ならシークヮーサー
- 魚側:海水魚・深海魚はTMAO含量が高い。淡水魚は低い
- 魚側:時間が経つほどTMAOがTMAに分解されて臭う
当てはまりやすいもの
辛口白ワインシェリー(フィノ)柑橘系の食中酒
「酸が高ければ必ず生臭くならない」とは言えない。鉄触媒による脂質酸化(fe-lipid-oxidation)は別経路であり、 酸では止まらない。生臭さには少なくとも2系統あることを混同しない。
強度B
呈味相互作用
熟成チーズと日本酒に相乗効果が起きにくいのは確かだが、 味を太くする経路は別にもあると考えられている
それ自体は味を持たない成分が、共存する甘味・塩味・うま味を強める。「濃厚さ」「口の中での広がり」「あとに残る感じ」として知覚され、 味そのものが増えたというより、味の輪郭が太くなったように感じられる。うま味相乗(T1R1/T1R3)とは別の受容体を通る現象なので、 アミノ酸側どうしの組み合わせでも起こりうる
見分ける手がかり
- 青カビチーズは、調べられたチーズのなかで飛び抜けて多い(toelstede2009jafc)
- 青カビそのものが作る。カビの働いた期間が長いほど期待できる
- 熟成期間の長いハードチーズ、長期熟成の発酵調味料
- 酵母と長く接触させた酒(澱と寝かせたもの)
- ⚠️ フレッシュチーズ・短期熟成のものでは期待しにくい
- ⚠️ 蒸留酒には基本的に持ち込まれない
当てはまりやすいもの
熟成酒純米酒生酛・山廃発酵調味料
関わる成分
γ-グルタミルペプチドグルタチオンγ-Glu-Val-Gly
★ 「コク味」は日本語として日常語に見えるが、 ここで言うコク味は特定の受容体を介した現象を指す学術用語であり、 一般に言う「コクがある」(脂の量・とろみ・味の濃さ)とは別物。文章で使うときは、読者が後者の意味で受け取ることを前提に書く。★ 健康効果には触れない。
強度B
加熱・焙焼
長く寝かせた酒と、焦がした味噌や醤油は、同じ道筋でできた香りを持っている
酒の甘い熟成香と、料理側の焦がし香・発酵香が切れ目なくつながって感じられる。どこまでが酒でどこからが料理か分かれにくくなる方向の変化
見分ける手がかり
- ★ 貯蔵5年以上の長期熟成酒。市販の一般的な清酒では成立しにくい
- 色調が淡黄色から褐色に寄っているもの
- 樽貯蔵をうたうもの
- 料理側:焦がし味噌、焼き醤油、長期熟成味噌、焙煎した穀物・胡麻、黒糖
- 料理側:生の味噌より焼いた味噌、煮た醤油より焦がした醤油の方が橋が増える
- バニラ様の香りは常温貯蔵で10年を超える域の話。数年の熟成では立たない
当てはまりやすいもの
長期熟成清酒(貯蔵5年以上)古酒樽貯蔵酒熟成した発酵調味料
★ 「熟成酒」と「老香のある酒」を混同しない。前者は狙って造られたもの、 後者は管理の結果として変化したもので、香りの構成も違う。香りが連続することを「合う」と言い換えない。
強度C
香気ブリッジ
麹とキノコは同じ香りの成分を持っている。ただし同じ成分が生臭さにもなる
麹の香りが立つ酒と椎茸を並べたとき、キノコ様の香りが どちらのものか分かれずに感じられる。うま味の下支えも同時に働く
見分ける手がかり
- 麹の香りがはっきり立つ純米酒。生酛・山廃・無濾過に多い
- 活性炭処理の多い酒では成立しにくい
- 料理側:椎茸。干し椎茸はうま味成分も高く、二重の接点を持つ
- ★ 料理側:強く焼く・油を多く使うと椎茸側の香りの組成が変わる。 酒蒸し・白和え・薄い味噌焼きなど、覆いにくい調理の方が接点が残りやすい
- 沖縄なら椎茸と島豆腐の白和えが試しやすい
当てはまりやすいもの
麹香のある純米酒生酛・山廃純米無濾過純米
★ 麹香の強い酒と脂の乗った青魚を合わせたときに、この成分群が キノコ側ではなく生臭さ側に振れる可能性がある。確認できるまで「麹香のある酒は魚に強い」とは書かないこと。強度Cなので断定形を使わない。
強度C
香気ブリッジ
燻したような香りの酒には、たいてい甘い脂の香りも隠れている
燻したような香りを持つ酒では、鰹節や燻製の煙の香りと方向がそろう。同じ酒が持つ甘い脂肪香の側は、脂の多い肉や桃・ココナッツ様の食材と重なる。ひとつの酒で二方向の接点を持ちうる
見分ける手がかり
- ★ 燻製・丁子・カレーのような香りを感じる純米酒。全出品酒の5〜10%に指摘がある程度で、 多数派ではない
- ★ その香りを感じる酒は、ココナッツ・桃・バニラ様の甘い香りも併せ持つ傾向がある。 片方を手がかりにもう片方を推定できる
- 樽貯蔵をうたうもの(樽由来のフェノール化合物が別経路で入る)
- 料理側:鰹節、燻製肉・燻製魚、焙煎コーヒー、炭火焼き
- 料理側:脂の甘さが立つ肉、桃・アンズ、ココナッツを使った料理
- 酒質の設計ではなく麹に由来するため、同じ蔵でも年によって変わりうる
当てはまりやすいもの
燻製様・香辛料様の香りを感じる純米酒樽貯蔵酒ココナッツ・桃を思わせる甘い香りのある清酒
★ 「この香りがあるから良い酒」とは書かない。醸造の評価軸では逆である。★ 生酛・山廃で特定のラクトンが多いという記述の出典は確認できていない。
条件しだいで振れる2
強度B
刺激・辛味
辛いものは香りを覆い隠すのではなく、むしろ香りを強く感じさせるらしい
唐辛子の辛味があると、実際に立ちのぼる香りの量は変わらないのに、 香りを強く感じるようになる。良い香りも欠点も、同じ方向に増幅される
見分ける手がかり
- 島唐辛子を使った料理、コーレーグースを添える食べ方
- スパイスを効かせた料理全般
- 辛さの立ち上がりが早い料理ほど影響が出やすいと考えられる
- 酒側:この機序は酒の属性を問わない。何を合わせても効く
- ★ 酒側に欠点があるときは、それも一緒に強く感じられる可能性がある
当てはまりやすいもの
島唐辛子を使う料理と合わせる場面全般コーレーグースを添える食べ方スパイス料理と日本酒・泡盛
★ エタノール濃度との関係は元研究が扱っていない。「高アルコールだと辛く感じる」という通説をこの文献で裏づけない。元研究は水溶液での結果であり、料理と酒の系での追試は確認できていない。
強度C
呈味相互作用
香りは、鼻をつまんでいても味の感じ方を変えているのかもしれない
香りの成分が、鼻をつまんでいても——つまり香りとして意識されなくても—— うま味の感じ方を変えうる。従来「香りが味を変えるのは脳が統合しているから」と説明されてきたが、 受容体そのものに働きかけている可能性が示されている。増強側の報告が主だが、同じ成分が抑制側に回る条件も報告されている
見分ける手がかり
- 燗をつけると、冷やのときには立たなかった香りが出てくる
- 熟成の進んだ酒、長期貯蔵の酒
- だし、焼いた肉、燻製、熟成チーズは、同系統の香りを持ち込む側
- ⚠️ 冷やした吟醸酒のように、果実様の香りが主役の酒では手がかりにならない
- ⚠️ 同じ成分群が老香・日光臭として欠点扱いされる場合がある (→ off-flavor-amplification)。香りが立つこと自体は良し悪しではない
元研究は温度も酒も扱っていない。強度Cであり、断定形は使えない。★ 「香りが味を変える」こと自体は昔から知られており、 新しいのは「脳の統合だけでは説明できないらしい」という部分。
気をつけたい3
強度A
酸化・劣化
生臭さは魚のせいではなく、合わせた後に生まれてくる
魚油様・生臭い後味。飲んだ直後ではなく飲み込んだ後に立ち上がる
見分ける手がかり
- 無清澄・無濾過のワイン(金属・微粒子が残りやすい)
- 鉄分の多い土壌の産地
- 長期の金属容器接触
- 低SO2で開栓から時間が経ったもの
- 日本酒は一般に鉄含量が低い(鉄は醸造上の大敵として管理されるため)
当てはまりやすいもの
自然派白ワイン(無清澄)低SO2ロゼオレンジワイン
元研究の試験系は干し貝柱。魚介一般への一般化は推論を含むため、 「すべての魚で起きる」とは書かない。ロット差が大きいため、個別のボトルについても断定しない(context.md §1)。
強度B
酸化・劣化
昨日の煮込みが今ひとつなのは、加熱で出た鉄が脂を酸化させているらしい
加熱調理した肉を置いたり温め直したときに出る、古い・段ボール様・金属的な風味。食肉業界では「ワームドオーバーフレーバー(WOF)」と呼ぶ。冷蔵(4℃)で48時間以内に現れることが多く、再加熱で特に顕著になる
見分ける手がかり
- 加熱調理してから時間が経った肉料理、温め直した肉
- 赤身肉・鶏もも肉・レバーなど、鉄と脂の両方が多い部位
- 作り置きの惣菜、前日の煮込み
- 亜硝酸塩を用いた加工肉(サラミ・ハム)では起きにくいとされる ※ ⚠️ この抑制機構は verified 文献で未確認。接客・記事で使う前に裏を取ること
- 生のまま供する料理では起きない
当てはまりやすいもの
サラミ生ハムチーズと合わせる加工肉
fe-lipid-oxidation と加算的に働くかは未確認。「再加熱した肉に鉄の多いワインは二重に悪い」とはまだ書けない。亜硝酸塩の話は保存技術の説明に留め、 添加物の是非や健康影響に踏み込まない(context.md §5)。
強度B
香気ブリッジ
濃い料理なら隠せる、とは限らない。同じ方向の香りは足し算になりやすい
酒の側にある欠点方向の香りが、同じ方向の香りを持つ料理と並ぶことで 隠れずに前に出てくる。「濃い料理で隠せる」という期待が外れる形で現れる
見分ける手がかり
- 直射日光や高温にさらされた形跡のある酒(着色が進んでいる)
- 開栓してから日が経った酒
- 常温の棚に長く置かれていた酒
- 料理側:納豆、ぬか漬け・たくあん、熟成チーズ、銀杏、加熱したキャベツ、玉ねぎ料理
- 閾値が極端に低い成分が関わるため、「わずかに感じる」段階でも影響が出る
- 酒質そのものより保管・流通の状態で決まる。銘柄では判断できない
当てはまりやすいもの
開栓後に時間が経った酒全般常温流通の生酒光にさらされた瓶
★ 欠点の有無は保管・流通の状態で決まる。造り手や銘柄の評価に転嫁しない。★ 「この酒は劣化している」と決めつけない。