日本酒を飲んで、「よく分からなかった」と感じたことはないでしょうか。

もちろん、すべての日本酒が分かりにくいわけではありません。

この10~15年ほど、従来あったフルーティーな吟醸・大吟醸に加えて、米をあまり磨きすぎずに造りながら、甘酸っぱく、果汁のように感じられる日本酒を目にする機会が増えました。
リンゴやバナナ、パッションフルーツ、ライチを思わせる香り。口に含むと、みずみずしい酸と甘味が広がる。

こうしたモダンな日本酒は、初めて飲む人にも比較的つかみやすいタイプです。

その一方で、米や穀物、発酵食品、出汁、乾物、熟成などを思わせる香味を持ち、最初の一杯では「どこを見ればよいのか分からない」と感じるクラシックな酒質を持つ日本酒もあります。
これらは果実香や甘酸っぱさをひとつの明確な目印として前に出すよりも、米の旨味、酸、苦味、発酵由来の香り、熟成による変化、燗や料理との関係まで含めて味わう酒質を指しています。

その酒の香り、味、口当たりが、最初からひとつの方向を示してくれるか。
それとも、複数の要素を少しずつほどいていく必要があるか。

モダンとクラシックな日本酒、この二つの違いはそこにあります。

味と香りは、別々の仕組みで働いている

味覚と嗅覚は、口の中ではひとつの「味わい」として感じられますが、受け取る仕組みは同じではありません。

味覚では、甘味・酸味・塩味・苦味・旨味という基本味には、それぞれ異なる受容機構が関わっています。味蕾の中には、特定の味に強く反応する細胞があり、そこから得られた情報が神経を通して脳へ伝わります。
味の種類ごとに、ある程度分かれた経路で情報が伝わるという考え方は「ラベルドライン」と呼ばれているそうです。

一方、嗅覚では、人が持つ数百種類の嗅覚受容体が、香気成分に対してそれぞれ異なる組み合わせで反応します。
脳は、その反応のパターンをひとつの香りとしてまとめています。
同じ成分でも、どの香りと一緒に存在するか、口の中でどんな味や温度と重なるかによって、全体の印象は変わります。さらに、そのパターンを何と結びつけ、どんな名前を与えるかには、記憶や経験が深く関わります。

神経生物学者のドナルド・ウィルソンと心理学者のリチャード・スティーヴンソンは、嗅覚を、香気成分を受動的に検出するだけの仕組みではなく、学習や記憶によって変化する可塑的な知覚として捉えています。

もちろん、香りの感じ方にも、生まれつきの違いや遺伝的な違いがあります。

しかし、その香りを「リンゴ」「バナナ」「出汁」「乾物」と分類し、似た香りの違いを見分け、言葉にする力は、経験によって細かくなっていく余地があります。

香りの地図は、生まれたときから真っ白なわけではありません。
けれど、そこに地名を付け、道を増やし、細かな違いを読み取れるようにしていく作業には、経験が関わっています。

ここが、日本酒の「分かりやすさ」を考えるうえで重要な点です。

果実の名前にたどり着きやすい日本酒

吟醸や大吟醸に代表される華やかな日本酒の主要な香気成分に、カプロン酸エチルと酢酸イソアミルがあります。
カプロン酸エチルはリンゴ、酢酸イソアミルはバナナを思わせる香りです。

どちらも主に発酵中に酵母が生成するエステルで、吟醸造りでは、酵母の選択、高精白、低温発酵などによって、その香りをきれいに表現します。

リンゴやバナナという名前がすぐに浮かぶ香りには、はっきりとした目印があります。
初めて飲む一杯でも、すでに知っている果物と結びつけることができる。

「フルーティーで飲みやすい」という感想は、味覚が優れているかどうかというより、知っている香りへの道を見つけやすいことと関係しているのかもしれません。

ジューシーでモダンな日本酒

かつて、吟醸や大吟醸に含まれる華やかな吟醸香をきれいに表現するには、米を大きく削ることが有利だと考えられてきました。

一方で、酵母の育種や発酵管理が進んだことで、米をあまり磨きすぎなくても、はっきりとした果実香を持つ酒が造られるようになりました。
これらはカプロン酸エチルや酢酸イソアミルによる果実香に、リンゴ酸などの有機酸による爽やかな酸味、糖分による甘味、アルコールの軽さ、酒によっては炭酸ガスの刺激などが重なって、果汁のような印象が生まれます。

また、火入れをしていない生酒には、しぼりたてに近い若々しい香味があります。そこに甘味、酸味、果実香、場合によっては細かなガス感が重なることで、単に「香りがフルーティー」というだけではない、飲み物全体としての果汁感が生まれます。

さらに従来のリンゴやバナナという言葉だけでは捉えにくいパッションフルーツ、ライチ、グアバ、グレープフルーツなどの南国果実や柑橘を思わせる香りを持つ酒に出会う機会も増えています。

そのすべてについて、日本酒中の原因物質が明らかになっているわけではありませんが、一部の日本酒では、4MMPというごく微量の揮発性チオールが、マスカットやライチ、柑橘を思わせる香りに関与することが確認されています。

また、ビールでは3MHやその酢酸エステルである3MHAという揮発性チオールが、グレープフルーツやパッションフルーツのような香りを生むことが知られており、ホップを使ったクラフト酒からパッションフルーツやグレープフルーツを思わせる香りが現れるとき、これらの揮発性チオールが寄与していることが考えられます。

「分かりやすい日本酒」と「分かりにくい日本酒」の違い

ここまで見てきたジューシーな日本酒には、初めて飲む人でも見つけやすい目印があります。

リンゴ、バナナ、パッションフルーツ、ライチ。

香りの名前が果物へつながり、甘味や酸味も、その果物らしい印象を補強します。場合によっては、低いアルコール度数や細かなガス感も、みずみずしさを支えます。

香り、味、口当たりが同じ方向を向いているため、「果実のようだ」「甘酸っぱくてジューシーだ」という、ひとつの言葉に着地しやすいのです。

これが、ここでいう「分かりやすい日本酒」です。

それに対して、クラシックな酒質の純米酒では、ひとつの果物が目印として前に出てこないことがあります。

米や穀物を思わせる香り。乳酸などの有機酸による酸味。アミノ酸やペプチドが関わる旨味、苦味、コク。発酵食品、乾物、出汁、木の実、熟成などを連想させる香り。

それらが別々に並ぶのではなく、温度、料理、時間によって関係を変えながら、ひとつの酒の中に重なっています。

どれかひとつを指して、「この酒はこれです」と言い切りにくい。
これが、ここでいう「分かりにくさ」です。

ここで分けたいのは、日本酒の優劣でも、製法の新旧でもありません。

最初から分かりやすい目印を示してくれる日本酒と、温度や料理や時間を通して、少しずつ全体像を見せる日本酒。この記事では、その違いを考えています。

クラシックな酒質の純米酒は、ひとつの言葉に着地しにくい

クラシックな酒質の純米酒では、リンゴやバナナのように、ひとつの果物へ直結する香りが前面に出ないことがあります。

乳酸などの有機酸による酸味、アミノ酸やペプチドが関わる旨味、苦味、コク。
さらに、蒸した米、穀物、発酵食品、乾物、出汁、木の実、熟成などを連想させる香りが重なります。

ここで大切なのは、乳酸やアミノ酸は香りそのものではないということです。

有機酸は主に酸味、アミノ酸やペプチドは旨味や苦味、コクに関わります。
それらと複数の香りが口の中で一体となることで、その酒らしい香味として感じられます。

さらに、温度を変えると、前に出る要素も変わります。
冷たいときには酸や硬さが目立っていた酒が、温めることで旨味や香りを広げることがあります。

単体では重く感じられた酒が、料理と合わせることで、急に輪郭を持つこともあります。

ジューシーな日本酒が最初から目印を示してくれる酒だとすれば、クラシックな酒質の純米酒は、温度、料理、時間を通して、少しずつ全体像を見せる酒です。
だから初めて出会ったとき、「複雑」「くせがある」「重い」といった、少し曖昧な言葉しか出てこないことがあります。

それは、何も感じ取れていないからではありません。

感じている要素が多く、まだひとつの言葉にまとめられていないのかもしれません。

一度目の困惑は、失敗ではない

未知の香りに出会ったとき、人はそれをすぐには分類できません。

分類できないものは、「複雑」「変わっている」「重い」あるいは「分かりにくい」といった言葉で、ひとまず受け止めることになります。

しかし、同じ香りに繰り返し意識を向けることで、以前より区別しやすくなったり、言葉にしやすくなったり、あるいは以前には気が付かなかった要素を見出すことがしばしばあります。
ワインや日本酒の世界で、「飲み慣れると分かってくる」と言われてきたことには、こうした嗅覚学習が関わっているのかもしれません。

ただし、飲み慣れれば必ず好きになる、ということではありません。

香りを理解できることと、その香りを好むことは別です。
二度、三度と試しても合わないのであれば、それも正しい感覚です。

繰り返し飲む目的は、自分の好みを否定することではなく、最初には見えなかったものがあるかを確かめることで、一度目の困惑は、失敗ではありません。

まだ、その酒のどこを見ればよいのか分かっていないだけ、そう考えることもできます。

一升瓶という、静かな観察期間

ここで一升瓶の登場です。

一升瓶の良さは、たくさん飲めることではありません。少量ずつ、何度も同じ酒に戻れることです。
四合瓶では数日で終わってしまう酒も、一升瓶なら、飲まない日を挟みながら、何度も同じ酒を確かめられます。

最初は同じ温度、同じグラスで飲む。
その後に、温度を変える。
料理と合わせる。
前回の印象と比べる。

その繰り返しによって、自分の感じ方が変わることもあれば、開栓後の酒そのものが変化することもあります。
一升瓶は、酒と自分の両方を観察するための、少し長い時間を与えてくれる存在です。

家族や友人と分けながら、飲まない日を挟み、無理のない量で付き合ってみてください。

家で試すには

1.最初は同じ条件で飲む

少量を同じグラス、同じ温度で飲みます。最初から詳しい言葉を探す必要はありません。
「好き」「酸っぱい」「重い」「よく分からない」だけでも構いません。

2.数日後、同じ条件でもう一度飲む

最初から温度や料理を変えず、前回と同じ条件で飲みます。
前より香りが分かるか。酸味の感じ方が違うか。余韻に何か残るか。
変化が分からなくても問題ありません。

3.その後に温度を変える

常温から、ぬる燗、上燗へ。純米酒は、温度によって酸味、旨味、香りのまとまり方が変わることがあります。
冷たい状態だけで結論を出さず、少量ずつ温度を変えて試してみます。

4.料理と一緒に飲む

単体ではつかみにくかった酸や旨味が、料理と組み合わさることで輪郭を持つことがあります。
味噌、醤油、出汁、発酵食品、焼いた魚、煮物など、旨味を持つ料理と合わせると、酒の見え方が変わることがあります。

5.飲み始めた頃と比べる

2〜3週間後、最初の印象と比べます。
印象が変わっていた場合、自分の感じ方が変わった可能性と、開栓後に酒そのものが変化した可能性の両方があります。
その区別が完全につかなくても問題ありません。

変化を追うこと自体が、この飲み方の面白さです。

ナガハマ88では

京都府伊根町の向井酒造は日本酒の幅を教えてくれる蔵です。

「京の春」シリーズのように、米の旨味や酸を持ち、魚料理や燗によって全体像が見えてくる酒がある一方、赤米を使った「伊根満開」のように、色、甘酸っぱさ、果実感によって、従来の日本酒の姿を大きく広げる酒も造っています。常温から燗まで温度を変えながら、時間をかけて付き合っていただきたい酒を数多く作っています。

鳥取県東伯郡北栄町の梅津酒造は、生酛熟成酒が主軸の骨太蔵。時間を重ねることで味わいが整い、燗でじっくり開いていくタイプの酒です。一升瓶の熟成酒とじっくり向き合ってみたいというお客様にぴったりの酒です。

鳥取県西伯郡伯耆町の久米桜酒造は一升瓶オンリーの蔵です。

久米桜を一般的な純米酒の物差しだけで理解しようとすると、かえって迷うことがあります。
米の味、酸、香り、発酵、熟成。それぞれに知っている要素はあっても、組み上がった酒の姿が、こちらの知っている枠に収まらない。

ナガハマ88では、久米桜を「クラシックな純米酒を学ぶための酒」というより、日本酒の常識の外へ連れ出してくれる、枠外の酒として捉えています。

一杯飲んで、すぐに答えを出す必要はありません。
数日後にもう一度飲む。温度を変える。料理と合わせる。前回とは違う場所を探してみる
久米桜酒造の一升瓶はそうした飲み方がよく似合います。

一升瓶は、同じ味を繰り返し確認するためだけの容器ではありません。
まだ名前の付いていない香味に何度も戻り、自分の中に新しい基準をつくっていくための時間でもあります。

向井酒造の酒では、日本酒が持つ広がりを知る。
梅津の酒では、クラシックな生酛熟成の奥行きを少しずつほどいていく。
久米桜の酒では、これまでの物差しが通用しない、新しい領域へ踏み込んでみる。

分かることだけが、日本酒の楽しさではありません。

まだ分からない一本と時間をかけて付き合いながら、自分の中の日本酒の地図を広げていく。
ナガハマ88では、一升瓶をそんなふうにも楽しんでいただきたいと考えています。

まとめ

日本酒は、ひとつの味ではありません。

リンゴやバナナ、パッションフルーツのような果実香と、みずみずしい酸を持ち、最初から分かりやすい目印を示してくれる日本酒もあります。

一方で米、発酵、旨味、乾物、出汁、熟成など、すぐにはひとつの言葉にならない、クラシックな酒質の純米酒もあります。

分かりにくい酒は、まだ知らない酒で、劣った酒ではありません。
そして、分からないと感じる人の感覚が劣っているわけでもありません。

ジューシーな日本酒は、最初から目印を示してくれます。
クラシックな酒質の純米酒は、温度、料理、時間を通して、少しずつ全体像を見せます。

香りの感じ方には、生まれつきの違いがあります。
そのうえで、香りを分類し、言葉にする力には、経験によって変わる余地があります。

次に一本を選ぶとき、「飲みやすいもの」ではなく、「まだよく分からないもの」を選んでみる日があってもよいかもしれません。二杯目で何かが見えることもあります。

それでも分からないこともありますが、分からないままでも構いません。
その困惑は、たいてい二杯目以降の楽しみの入口です。

よくある質問

一升瓶は、開けてからどのくらい楽しめますか?

火入れされた純米酒は、適切に冷暗所で保管すれば数週間、時には数か月にわたって変化を楽しめるものもあります。ただし酒質によって変化の速さは異なります。

生酒は必ず冷蔵し、ラベルや蔵元の案内に従って、できるだけ早めにお楽しみください。

四合瓶でも同じことはできますか?

できます。量が少ないぶん観察できる期間は短くなりますが、少量ずつ日をあけ、最初は同じ条件で飲めば、同じ試し方ができます。まず四合瓶で試し、もう少し長く付き合いたいと思った酒を一升瓶で選ぶ方法もあります。

飲み続ければ、苦手な酒も好きになりますか?

必ず好きになるわけではありません。香りを識別できるようになることと、その香りを好きになることは別です。
何度か試すことで、最初には分からなかった要素が見えてくることはあります。
それでも好みに合わなければ、それも正しい感覚です。

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記事に登場した商品・道具

向井酒造の一升瓶

京都府伊根町の向井酒造が造る、食卓の中で全体像が見えてくる純米酒です。
単体で香りだけを追うよりも、魚料理や発酵食品と合わせ、常温から燗まで温度を変えながら味わうことで、米の旨味や酸の輪郭が見えやすくなります。
伊根の食文化とともに、時間をかけて向き合いたい一本です。

  • 生産者:向井酒造
  • 所在地:京都府与謝郡伊根町
  • 取扱い:店頭/オンラインストア
  • 飲み方:料理と合わせ、常温から燗まで温度を変えて試す

向井酒造の商品一覧を見る

梅津酒造の一升瓶

時間を重ねて味わいが整っていくタイプの純米酒で、燗にすると表情が変わります。一本と長く付き合う飲み方に向いています。

  • 生産者:梅津酒造(鳥取県東伯郡北栄町)
  • 取扱い:店頭/オンラインストア
  • 関連する使い方:料理と合わせ、熱燗から飛び切り燗まで高めの温度で色々試す

梅津酒造の商品一覧を見る

久米桜酒造の一升瓶

鳥取県西伯郡伯耆町、大山の麓で酒を造る久米桜酒造。
地元の米と大山山麓の水を生かし、「カルシス」「野生の思考」など、それぞれ強烈な個性を持つ酒を造っています。
知っている純米酒の延長にあるようで、どこか違う。米、酸、発酵、香りが、こちらの予想とは違う形でつながり、日本酒について持っていた常識や枠を少し外してきます。
一杯目で理解できなくても構いません。
これまで自分の中になかった日本酒の新しい領域を、時間をかけて開拓していくための一本です。

  • 生産者:久米桜酒造
  • 所在地:鳥取県西伯郡伯耆町
  • 容量:1800ml
  • 取扱い:店頭/オンラインストア
  • 飲み方:日をあけ、温度や料理を変えながら、新しい香味を探す

久米桜酒造の商品一覧を見る

お酒は20歳になってから。適量を、おいしく楽しみましょう。